推しは推せる時に推せという言葉について

きっとNoteとかに書いた方が見られると思うけど、ここ以上に更新してないところに書く意味とは、ってなってるので。

 

至極名言だと思います「推しは推せる時に推せ」。

多くの場合、「推し」というのは永遠にいるものではなく、不意に消えてしまうものでもあるから、チャンスを逃さず推せということを言ってると思うんですよね。

 

逆の視点はあまり語られないわけですよ。

「推し」を推せなくなった時が誰しもあるわけで。

ありとあらゆる理由が考えられます。

薄っぺらい生涯推すよ!がスキャンダルとか推し変とか結婚とかで消えていくわけです。別にそれが悪いとは思わないけど、推せなくなったら死んでると同義だよね推しの視点からは。

引退まで推せる人もまあまあ少ないんじゃないかなと。

引退した後も推す人もまあごく少数ならいるんじゃないですかね。ちょっと怖いかもしれない。自分は肯定派ですが。

 

僕は怖くて生涯推すとは言えない。推せる間は推すというのともちょっと違うわけで。

今日推せてた推しが明日推せなくなる可能性もあるわけです。

幸いなことに今までそこまで急なことはないです。

でも今はまだ推せるから推します、推せなくなる時がどう来るのかをまだ知らない。

 

この話って以前ゆるふわに物事に付き合うことについてみたいな感じで書いてたと思いますが、それでいいんじゃないかなと思ったりもします。

 

そういう意味で、「推しは推せる時に推せ」って言葉は間違っていないし、推せなくなったら推さなきゃいいと思います。

 

今のところ、生身の人間で「推し」と呼べる人はこれまで3人いますが、結婚したりしてなかったりしてても、とりあえずスタンスは変わってないかなと。

3人目の推しがまだ若いのでこの人が結婚した時に横になるわとか推せなくなるわって言うのかがむしろ楽しみです。それを言ってる人間ではいたくねーなー、その前に他界してねーかなーその界隈からと心の底から思ってますが。

 

この言葉は胸において推し活やっていきましょうね。